存在のカテゴライズ
いきなりですが、私はセクシャルマイノリティという言葉が好きではありません。
え?タイトルにも書いてるやん?今更何言ってるの?矛盾してない?
と思われる方もおられるかもしれません(笑)
ブログの短いサブタイトルで私のことを分かってもらう便宜上、いろいろ言葉を探した結果そういう言葉を使うしかありませんでした。
なので自分のことをセクシャルマイノリティです!と実際の場で自己紹介したことは人生で一度もありません。
隠しているからでしょ?と思われるかもしれませんが、25歳を過ぎたあたりから一部の信頼出来る人には徐々に自分は同姓が好きだという話をしていました。
それでも「同性が好きなんです」と言うことはあっても、そういう固有名詞や専門用語的な言葉はあまり使いたくありませんでした。
その理由は、その言葉を使うことで相手にその言葉で私をその人の頭の中でカテゴライズされたくなかったからです。
私という存在にセクシャルマイノリティというタグ付けをされたくないという、そういう枠で囲われたくないという感覚に近いかもしれません。
《私という存在そのもの》を見てほしいと常々思っていました。
あの子はケーキが好き。
あの人は本を読むことが好き。
あの人は同性が好き。
それくらいの感覚で捉えてほしいと思っています。
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